2018年08月27日

父親の死と向かい合う | 社会福祉法人ベテスタ こいしろの里(三重県 松阪市)

Tさんから亡くなった父親への思いを聞いています。

 

2018年8月13日月曜日、Tさんは母親から連絡があり父親が亡くなったと知った。知らせを聞き病院へ駆けつけた時には少し脈が戻った時もあったが、このまま心肺蘇生し続けて助かる可能性はないとのことで、心肺蘇生を停止してもらい2018年8月14日火曜日7時28分、息を引き取られた。

 

Tさん本人に話を伺うと、「7月半ば頃、父親自身の体が上手く動かせないようになっているように見えた。また、まともに喋れなくなり、呂律が回らなくなることで会話も聞き返さないと聞き取れないことが増えてきた。実際そのような場面に直面して、25年間透析をしていたため、前々からいつ亡くなってもおかしくないと医者から告げられてはいたが、亡くなって改めて父親の有難みを感じた。食事をしていても食べている気がせず、まだ心がモヤモヤしている状態である」と話される。

 

Tさんは仕事が休みの日に、父親の家に行き家の周りの草抜きをしたり、買い物にいっていたという親孝行なエピソードもあり、傍目にも父親がTさんに感謝されていたのがわかるほどであったという。

 

親が亡くなった悲しみはしばらく癒えないだろう。それは健常者でも障害者でも同じことだ。だが私たち支援員は、利用者の親の死に際して、その子ども(利用者)の気持ちとして耐えがたいだろうから、利用者を前に親の死を頑なに隠してしまうケースをしばしば見てきた。親の死を隠そうとする親族の気持ちは理解できないこともない。

 

けれどあえてそれでも言いたい。障害の有無に関わりなく、親の死を受け止めるのは人間としての義務であり権利でもあると思う。何よりそれこそが人間としての尊厳ではないかと考えます。人間はいつか必ず死をむかえる存在なのだから。

 

愛する父親の死をしっかりと受け止めて、がんばっているTさんを美しいと感じるのは私だけではないだろう。

清水美紀

 

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